毎日自分と向き合うために私は記事を書く

まえがき

毎日自分と向き合うために、私は記事を書いていきます。

もし、生きていて「自分は考えやすい方かも」と悩んでいたり、

「周りに気を遣うことが多く、毎日疲れてしまう」

「私はこのままでいいのかな」と思うことがあれば、

私は一緒の仲間です。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

私の自己紹介

関西出身の28歳で学生時代から繊細な心と二人三脚。
うつや不安障害と向き合う。

大学を卒業後、製薬会社の開発部で約6年勤務後、独立。

うつや不安障害を寛解の
経験をもとにHSP、繊細さんへの発信に注力。

私は会社員をやめ、在宅ワークで収入を得る生活をしています。

朝に満員電車に乗ることもなく、

少し遅めに起きて、出社で駅に向かう人をわき目に散歩をしたり、

コワーキングスペースや、カフェや自宅で作業をしています。

そう聞くと自由な時間に働けて、うらやましく思う人もいるかと思いますが、

その裏側では、これまでや現在進行形で私が今感じてる”生きにくさ””悩み”

たくさん抱えています。

ここで同じだと思ってもらって元気を与えられたり悩みを解消したり

それが自分の成長につながり、成長を期待できて、記録し気付きを共有できればと思います。

 なぜ会社員をやめたのかというと、毎日指示されたことの繰り返しで成長の実感がなかったことが一番大きかったです。

例えば、昔から断るのが苦手で、結果いつも誰かのために頑張っている、そんな頼まれやすい性格でもあり、

メインの仕事とプラスでみんなよりも雑務が回ってくることがとても多かったです。

誰かの役に立っている実感がありましたが不平等さなどは感じていませんでした。

頼む人からの感謝はおのずと感じられなくなっていき、

「あいつ(僕)に頼めばまたやってくれる」、「何かあったらあいつに頼めばいい」のような雑な態度へ変わっていきました。

それが当たり前になり、役に立っている実感が減って、なぜ自分が時間がない中やっているかわからなくなっていました。

過去の自分について

自己紹介を兼ねて、小さいころにさかのぼると、3人兄弟の長男に生まれ、身内が教員という家庭に生まれました。

習い事をたくさんさせてもらい、塾やピアノやサッカーと毎日忙しかったことを覚えています。

ですが体を動かすことは好きでよく外で遊んでいましたが、塾とピアノはかなり苦しかった印象があります。

今があるのは、あの時塾に行かせていただいていたおかげですが、

同級生との遊びを断ったり、クラスで盛り上がっている会話についていけなかったりと、

学生時代は窮屈で少し浮いた子どもだったかと今から思い返すと思ったりします。

(そのころから、両親や家族が喜ぶような誰かのための行動をとるようになってきます。)

 中学では部活と勉強を両立できるようにとずっと言われていました。

ですが遊び盛りで、体を動かすことがもっぱら好きな僕は机の前でじっと座っての勉強は得意にはなれませんでした。

 でも両親や家族からの期待を裏切りたくない気持ちもある中、もっと遊びたい気持ちもあり、

当時したいことに流された結果両方をとった結果どちらも中途半端になってしまっていました。

(そのころから、期待に応えたい。けれど自分の行動が伴わず、中途半端になってしまう。

 できない自分を嫌いになってしまい、自分に向き合うことから逃げてしまったり自己肯定感がなくなってしまう)

でも中学時代は、悩むことが少なく、自分が一番出せていたこともあり楽しかった印象が強いです。

高校へ進学すると生徒数も増えいろんな人と会い、そこで自分についてほかの人と比べたり、自分が当時持っていた”大人のイメージ”に近づくために、深く考えるようになります。

僕は基本的に平和主義で、争いごとや悪口が好きではなく、

全員とうまくちょうどいい距離感で接することができることが一番だと思って、

相手に合わせた対応をとるようにしていたため、顔は広い方でだれかに嫌われていることはなかったかと思います。

ですがみんなとうまくやるために、自分の感情を優先せずに、

相手がいいと思う行動をとることも多く、気を使ったり、気を使いきれずに「あの時どうすればよかったんだろう」や

「自分のここが悪いところだ」と自責にして考えていました。

大学へ進学しその自責思考が積み重なり、心の余裕がなくなってきます。

自分だけが原因でないことでも、自分ごとに思い責任を感じていたり悩みがちになりました。

さらに大学生活では自由な時間が増えた分、自分の弱さや悩みに向き合う時間も多くなりました。 

課題や人間関係においても「自分のせいではないか」と考え込み、気づけば心の余裕がなくなっていたのです。表面上は友人と明るく過ごしながらも、心の内では常に「もっと頑張らなければ」「期待に応えなければ」と自分を追い込んでいました。

その反面、周囲からは真面目で頼られる存在と見られることも多く、ますます弱音を吐けなくなっていきました。そんな日々の中で、心と体のバランスを崩しかけた経験が、今の自分に少しづつ気づきを与えてくれました。

気づきや転機

悩みは尽きないですが、悩んだことによってうまくいく割合が少しづつ増え、二十歳を超えたあたりでそれが人格になってきました。

物事が円滑にうまくいったり、感謝されたり、悩みをきいて楽になってくれたりすると非常に報われた気分になります。

このために、私は「頼まれたからやる」「期待に応えなきゃいけない」という無意識の行動パターンを見直すようになりました。誰かのために頑張るのは悪いことではありませんが、そればかりだと自分の心はすり減っていきます。

だからこそ、小さなことでも「自分がやりたいから選ぶ」という感覚を意識して取り入れるようにしました。

そうすると、不思議と行動の納得感が増し、少しずつ自分の気持ちを大事にできるようになりました。その気づきを忘れないために、言葉として残すことが今の私にとって大切であり、記事を書く一番の理由になっています。

最後に

この毎日自分に向き合うための記事を通じて、

・現状に悩みを持っている人

・自分に自信がない人、

・自分以外のだれかを優先して

・自分を見失ってしまって疲れてしまう人

そんな人たちの気持ちが軽くなり、

自分と向き合うきっかけになれば嬉しいです。

自分に向き合うことは、過去の自分を否定することに間接的につながったり、

ストレスに感じる人もいると思いますが一緒に頑張りましょう。

もともと持っていた自分への期待や、忘れていたこれからの将来へのワクワクを思い出して、

ほんとはこれで良かったんだと感じられる未来が来るよう願っています。

この記事を書いた人

ライター

学生時代から繊細な心と二人三脚。うつや不安障害と向き合う。製薬会社の開発部で約6年勤務後、独立。寛解の経験をもとにHSP、繊細さんへの発信に注力。